その20 「安楽死〜テンポイントに教わる〜」

その20。安楽死に是か非か。
 

今日、部屋の掃除で出てきた1冊の本を読み、ちょっと泣きました。

今回だけはマジメな話でいこうと思います。
 

安楽死。

病気に苦しみ、さらに回復の見込みのない病人を楽に死なせる行為。

僕は、中学時代に初めてこの言葉を聞いたんだと思います。

「医者が何と言おうが本人か家族が決めること」とボンヤリ思ってました。
 

確固たる意見を持ったのは高校生のころ。

競馬をやる人は知っていると思いますが、

サラブレッドはその脚に致命傷を負うと予後不良といい安楽死させられることが多々あります。

ダビスタにはまり、競馬関係の本を読み漁っていた僕は、

テンポイントという1頭の馬の本を読みました。

この馬こそが僕に安楽死のなんたるかを教えてくれた師です。
 

テンポイントはそもそも、その先祖からして安楽死との関連性が深い。
 

テンポイントの祖母クモワカ。

昭和27年、クモワカは伝染性貧血症と診断され、薬殺処分を命じられた。

しかし関係者は殺すことができずに、北海道へ逃がし、かくまった。

その後、12年に及ぶ裁判で伝染性貧血症は「誤診」であると証明。

再び、競争馬の生産界に戻ったクモワカはテンポイントの母となるワカクモを産んだ。

このワカクモ自身も、桜花賞(GI)を勝った名牝である。

このワカクモが競争馬としての役目を終え、テンポイントを産む。
 

テンポイントは昭和50年8月のデビュー以来、18戦11勝2着4回という怪物的な活躍をする。

四歳のとき、天馬トウショウボーイとの有馬記念での対決を制し、海外遠征を決めたテンポイント陣営。

五歳、海外遠征への壮行会として日経新春杯に出馬。

僕の生まれる前のレースではあるが、映像は見たことがある。

このレースでテンポイントは66.5kgというハンデを背負うこととなる。

そのレースの最軽量ハンデは50.5kg。その差は16kg。

これ以後、テンポイントを越えるハンデを背負った馬はいない、というほどの酷なハンデだった。

レースが始まる。

マイペースに進むテンポイント。

残り600メートルの地点にさしかかったとき、異変。

最終コーナーをまわるテンポイントの姿はなかった。

左後肢骨折。(本当はもっと複雑な名前の骨折)

競争馬にとって、これは致命傷。

予後不良、安楽死もやむを得ない大重傷。

  なぜ、骨折程度で安楽死までしなければならないか?
  本によると、サラブレッドの脚は非常に繊細で骨折した脚以外の3本の脚で体重を支え続けると、
  その3本の脚の負担が大きすぎ、蹄葉炎という病気にかかってしまうらしい。この蹄葉炎は絶対に治らない、不治の病。

しかし、関係者は安楽死に踏み切れない。

祖母のクモワカの例でも逆転勝訴したように奇跡が起きる可能性もなくはない。

昭和53年1月23日、異例の大手術が敢行された。

これから42日の間、テンポイントの闘病生活が始まる。

3月1日に遂に、蹄葉炎の進行が確認されてしまう。

翌2日には衰弱が酷くなった。
 

そして、昭和53年3月3日から5日までの診療記録を高校生の僕は読むこととなる。

涙無しには読めなかった。

そして安楽死の是非について堅く意見を持つこととなった。

以下にその診療記録を本から。

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獣医医師団の診療記録

3月3日
8時、鼻出血やや軽度も食欲減退し元気なし。
13時、ギプス交換、患部の肉芽増殖が減少、球節の外側は肉芽形成。
15時、鼻出血著明、呼吸雑音、食欲不振、頭部下垂、全身を吊起帯に頼る。
17時30分、右後蹄底より出血著明、止血。
19時40分、呼吸速迫し全身発汗、頭部下垂し眼光なし、全身症状悪化のため枠馬除去、馬房内での横臥に移す。

3月4日
1時30分、5分間隔で起立を試みる。
2時30分、水2リットルと強心栄養剤。
5時30分、右側横臥から左側へ移し右側マッサージ、擦過傷著明。
8時、横臥の状態で起立を試みる、リンゴ1個、大根、人参、豆乳1.8リットル。
11時30分、右後蹄底の出血は止まり、球節以下に圧迫包帯。
13時30分、右後蹄底から出血、横臥状態で両後肢を激しく前後に振る。
15時、右側横臥から左側へ。
20時、排便、排尿2回、乾草、青草、牛乳1.8リットル、水1リットル。
22時、右側横臥から左側へ、静止。
23時、浣腸。

3月5日
1時、青草、水1リットル。
2時、腸は正常、ガス排出、瞳孔やや散大。
5時、牛乳1リットル、水1リットル、排便、排尿2回、左へ返転。
8時、前後肢を激しく前後に振る。
8時20分、前後肢が震え、瞳孔反射なく眼光なし。
8時40分、全身を伸ばし呼吸停止。奇跡は起きなかった。

「これは我々の敗北であります。」

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サラブレッドの体重は400〜600kg。

その瞬間のテンポイントの体重は200kg以下だったそうです。

これは、実際テンポイントを見たことのない僕だから言えることかも知れません。

関係者を責めるんじゃないんです。

競馬ファンのアイドルを安楽死させるには相当な勇気が必要だったでしょう。

わずかな可能性でも奇跡を信じたのでしょう。

でも僕は、この衰弱しきったテンポイントの記録を見て言わずにはいられません。
 

テンポイントは安楽死させるべきだった。
 

僕はこの悲劇の名馬によって、予後不良診断の適切さを学びました。

安楽死の大切さを学びました。

皆さんも安楽死について思うところがあれば掲示板などで聞かせてください。
 

競馬はいろんな事を教えてくれました。

今も教わることがたくさんあります。

馬券を買うのももちろん楽しいですが、それ以上にドラマ性溢れる馬の人生を目撃できる喜び。

テンポイントは多くの競馬ファンに看取られ、幸せだったと信じたいです。

テンポイント、そして名を世に残せず、非業の死を遂げていったサラブレッドたちに、

競馬関係者の人たちにも感謝したいと思います。

これからも一ファンとして夢を追いかけようと思います。

馬券はあたらなくてもいいです。

本当に。

本当。

マジ。

人生の講師料としちゃ安いもんです。
 

「ごめんなさい 本音を言えば ちょっとだけ 返して欲しいです JRAさん」